冬の京の旅《お土産編》 [旅・歴史]
先日の記事の中で少し触れた、「心満たされるもの」。
それが、この念珠です。
こちらは赤瑪瑙があしらわれた女性用
そして翡翠が存在感を見せる男性用
どちらも御影堂の修復の際に出た、檜の古材から作られているものです。
長年、御影堂を支えてきた檜の柱。
亀裂が入っていたなどで、柱としてお役御免となった檜は、このような形で再び命を得たのです。
今風の言い方をすればリサイクルですが、柱であったわけですから、今までにたきしめられた香もお経も祈りも全て染み込んでいる、パワーストーンならぬパワーウッドのような気がします。
売店の係員さんに尋ねたところ、これはこの本山のみの販売で、大谷祖廟でも買うことはできないとのこと。
それに古材として使っている柱の数にも限りがあるので、当然の如く数量限定販売。
「一期一会・・・・」
そう思って、迷うことなく家族4人分を購入してきました。
帰宅して両親に手渡すと、思っていた以上の好反応で、買ってきてよかったと嬉しくなりました。
来年の法事には、皆でお揃いの念珠です。
それが、この念珠です。
こちらは赤瑪瑙があしらわれた女性用
そして翡翠が存在感を見せる男性用
どちらも御影堂の修復の際に出た、檜の古材から作られているものです。
長年、御影堂を支えてきた檜の柱。
亀裂が入っていたなどで、柱としてお役御免となった檜は、このような形で再び命を得たのです。
今風の言い方をすればリサイクルですが、柱であったわけですから、今までにたきしめられた香もお経も祈りも全て染み込んでいる、パワーストーンならぬパワーウッドのような気がします。
売店の係員さんに尋ねたところ、これはこの本山のみの販売で、大谷祖廟でも買うことはできないとのこと。
それに古材として使っている柱の数にも限りがあるので、当然の如く数量限定販売。
「一期一会・・・・」
そう思って、迷うことなく家族4人分を購入してきました。
帰宅して両親に手渡すと、思っていた以上の好反応で、買ってきてよかったと嬉しくなりました。
来年の法事には、皆でお揃いの念珠です。
冬の京の旅《参拝編》 [旅・歴史]
更新をサボっているうちに、旅行から2週間以上経ってしまいました
何かと忙しかったり、体調不良だったり・・・・
まぁ、あとは某ゲームにハマってしまっているというのもあったりしますが。
12月12日(土)、薄曇りながらそれほど冷え込みも無く、冬の観光としては快適だったと思います。
我が家は父方も母方も真宗大谷派なので、いつも何となく自然に東本願寺には足が向きます。
門をくぐると、鳩の大群
一斉に飛びかかって来られると、いかに鳥好きの私でも怯えてしまいます。
なんだか、ヒッチコックの『鳥』を思い出してしまいそうな、そんな勢いです。
現在修復中の阿弥陀堂
修復が終わった御影堂
屋根の上には玄武が・・・。
お東さんでは、ちょっと心満たされるものを買うことができました。
それについては、また次の機会に。
この後に、敦盛そばを味わい、今回の旅の大本命である「青蓮院門跡 青不動明王御開帳」を拝観に行きました。
門の前の大楠です。
大き過ぎて全体が写っていないのと、逆光でシルエットだけになってしまいましたが、その光が逆になんだか神々しく見えます。
お目当ての「国宝 青不動明王」は、仏像ではなく仏画です。
青蓮院の公式HPで青不動明王や大楠、庭園の写真などが壁紙としてダウンロードできるようになっていました。
期間限定だそうです。御開帳が12月20日で終了してしまったので、ダウンロードできる期間ももうあとわずかかもしれません。
庭園の紅葉はほとんど終わっていました。
でも、少しだけ鮮やかな紅が目に映りました
11月までに拝観してきた会社の後輩たちの話では、「それほどひどい混雑は無く、ゆっくり参拝できた」ということだったので、「仏像はブームだけど仏画だからそんなに人は集まらないのかもね」と楽観視していました。
・・・・・が、甘かった
観光バスの団体客とも重なり、人、人、人
御開帳期間の終盤だったこともあるかもしれません。
だって、寺院の建立以来、初の一般への御開帳なのですから。こんな貴重な機会を逃すことはできませんよね。
次に向かったのは蓮華王院・三十三間堂。
ある仏像に対して「も〜〜〜〜ぅ、どうしてもご尊顔を拝し奉りたい」という強い気持ちがありまして。
その像は二十八部衆の内の一体、大弁功徳天。吉祥天とも呼ばれます。
私は基本的に不動明王好きなのですが、この大弁功徳天像は、お顔を眺めているだけで心が安らぐような感じなのです。
今回もかなり長い間、お姿を眺めていたような気がします。
他にも帝釈天像が、なんともかっこ良くて好きです。
よく「千体の千手観音像の中に、自分や知っている人に似た顔が必ずある」と言われますが、私の視線はどちらかと言うと、その眷属である二十八部衆に目が行っています。
他の皆様は、いかがでしょう?
そして参拝ではないのですが、今回の旅行で初めて本能寺に行きました。
本能寺の変が起こった当時の場所からは、少し移転しているそうですが。
それにしても京都って、いつの季節に行っても人が多いですね〜
何かと忙しかったり、体調不良だったり・・・・
まぁ、あとは某ゲームにハマってしまっているというのもあったりしますが。
12月12日(土)、薄曇りながらそれほど冷え込みも無く、冬の観光としては快適だったと思います。
我が家は父方も母方も真宗大谷派なので、いつも何となく自然に東本願寺には足が向きます。
門をくぐると、鳩の大群
一斉に飛びかかって来られると、いかに鳥好きの私でも怯えてしまいます。
なんだか、ヒッチコックの『鳥』を思い出してしまいそうな、そんな勢いです。
現在修復中の阿弥陀堂
修復が終わった御影堂
屋根の上には玄武が・・・。
お東さんでは、ちょっと心満たされるものを買うことができました。
それについては、また次の機会に。
この後に、敦盛そばを味わい、今回の旅の大本命である「青蓮院門跡 青不動明王御開帳」を拝観に行きました。
門の前の大楠です。
大き過ぎて全体が写っていないのと、逆光でシルエットだけになってしまいましたが、その光が逆になんだか神々しく見えます。
お目当ての「国宝 青不動明王」は、仏像ではなく仏画です。
青蓮院の公式HPで青不動明王や大楠、庭園の写真などが壁紙としてダウンロードできるようになっていました。
期間限定だそうです。御開帳が12月20日で終了してしまったので、ダウンロードできる期間ももうあとわずかかもしれません。
庭園の紅葉はほとんど終わっていました。
でも、少しだけ鮮やかな紅が目に映りました
11月までに拝観してきた会社の後輩たちの話では、「それほどひどい混雑は無く、ゆっくり参拝できた」ということだったので、「仏像はブームだけど仏画だからそんなに人は集まらないのかもね」と楽観視していました。
・・・・・が、甘かった
観光バスの団体客とも重なり、人、人、人
御開帳期間の終盤だったこともあるかもしれません。
だって、寺院の建立以来、初の一般への御開帳なのですから。こんな貴重な機会を逃すことはできませんよね。
次に向かったのは蓮華王院・三十三間堂。
ある仏像に対して「も〜〜〜〜ぅ、どうしてもご尊顔を拝し奉りたい」という強い気持ちがありまして。
その像は二十八部衆の内の一体、大弁功徳天。吉祥天とも呼ばれます。
私は基本的に不動明王好きなのですが、この大弁功徳天像は、お顔を眺めているだけで心が安らぐような感じなのです。
今回もかなり長い間、お姿を眺めていたような気がします。
他にも帝釈天像が、なんともかっこ良くて好きです。
よく「千体の千手観音像の中に、自分や知っている人に似た顔が必ずある」と言われますが、私の視線はどちらかと言うと、その眷属である二十八部衆に目が行っています。
他の皆様は、いかがでしょう?
そして参拝ではないのですが、今回の旅行で初めて本能寺に行きました。
本能寺の変が起こった当時の場所からは、少し移転しているそうですが。
それにしても京都って、いつの季節に行っても人が多いですね〜
冬の京の旅《食事編》 [旅・歴史]
去る12月11日(金)、仕事が終わってから新幹線で京都に向かいました。
夕食は駅弁。
私が選んだのは、地元でちょっと話題になっている【信長膳】
このお弁当には、説明書きと、
おしながきがついています。(クリックで拡大して読めます)
甘辛味噌のおにぎりが、食欲をそそりました。
コレのどこが気に入らなくて、信長は光秀に怒りをぶつけたんでしょうねぇ?
あ、「不手際」に怒ったのか・・・。
翌日のお昼は、京都に行くと必ずと言ってよいほど食べにいくお店です。
竹邑庵太郎敦盛(ちくゆうあんたろうのあつもり)
日曜祝日は定休日なので、食べたい時には土曜日に行くしかありません。
お店は「小学生以下入店お断り」となっていて、店内はお蕎麦屋さんなのにジャズがBGMで流れています。
席に着くと、出してくれるのはお茶ではなくそば湯。
箸休めの梅干しと、麺のつけつゆの具。
たっぷりのネギとわさび、ネギの下には生卵が隠れています。
注文する時に「ネギ、わさび、生卵は入れても大丈夫ですか?」と訊いてくれます。
ここに熱々のつけつゆ(写真中央のとっくり)をかけて混ぜます。
注文したのは一斤半。せいろの下には熱湯が入っているので、注意です。
大食いではない私達でも、この量なら楽々OK!
あ、決して普通の一斤が少ないというわけではないんですよ。
普段はあまりお蕎麦に執着が無いのですが(どちらかと言うと、うどんやきしめん派なので)、ここのお店のは軽く食べてしまえるんです。
ネギたっぷりの甘辛濃いめのおつゆのせいかな?
ネットで検索していたら、どうやら東京の新橋にも出店しているようです。
あ〜〜、一週間経った今、また食べたくなってきました
それにしても寒いですね。
先週がこんな気候でなくて、本当によかった・・・・・・
夕食は駅弁。
私が選んだのは、地元でちょっと話題になっている【信長膳】
このお弁当には、説明書きと、
おしながきがついています。(クリックで拡大して読めます)
甘辛味噌のおにぎりが、食欲をそそりました。
コレのどこが気に入らなくて、信長は光秀に怒りをぶつけたんでしょうねぇ?
あ、「不手際」に怒ったのか・・・。
翌日のお昼は、京都に行くと必ずと言ってよいほど食べにいくお店です。
竹邑庵太郎敦盛(ちくゆうあんたろうのあつもり)
日曜祝日は定休日なので、食べたい時には土曜日に行くしかありません。
お店は「小学生以下入店お断り」となっていて、店内はお蕎麦屋さんなのにジャズがBGMで流れています。
席に着くと、出してくれるのはお茶ではなくそば湯。
箸休めの梅干しと、麺のつけつゆの具。
たっぷりのネギとわさび、ネギの下には生卵が隠れています。
注文する時に「ネギ、わさび、生卵は入れても大丈夫ですか?」と訊いてくれます。
ここに熱々のつけつゆ(写真中央のとっくり)をかけて混ぜます。
注文したのは一斤半。せいろの下には熱湯が入っているので、注意です。
大食いではない私達でも、この量なら楽々OK!
あ、決して普通の一斤が少ないというわけではないんですよ。
普段はあまりお蕎麦に執着が無いのですが(どちらかと言うと、うどんやきしめん派なので)、ここのお店のは軽く食べてしまえるんです。
ネギたっぷりの甘辛濃いめのおつゆのせいかな?
ネットで検索していたら、どうやら東京の新橋にも出店しているようです。
あ〜〜、一週間経った今、また食べたくなってきました
それにしても寒いですね。
先週がこんな気候でなくて、本当によかった・・・・・・
今回は私がトホホ… [旅・歴史]
先日来、妹がトホホな記事三連発を書いていましたが、今回は私です。
京都旅行に持っていったデジカメ、バッテリーの予備も持ち、OK!と思っていたのですが、いざ撮影しようと電源を入れたら、「メモリーカードがありません」の表示が!
……やってもうた…
仕方なく今回は、携帯電話のカメラだけでの撮影となりました。
旅記事と写真のアップは、また後ほど。
京都旅行に持っていったデジカメ、バッテリーの予備も持ち、OK!と思っていたのですが、いざ撮影しようと電源を入れたら、「メモリーカードがありません」の表示が!
……やってもうた…
仕方なく今回は、携帯電話のカメラだけでの撮影となりました。
旅記事と写真のアップは、また後ほど。
戦国ふぁっしょん! [旅・歴史]
11月8日のサンデー版が、歴女さん向けの内容でした。
「人気ランキング」が載っていますが、一昔前ならきっと森蘭丸がランクインしていたはず・・・と思うのです。
ドラマでは必ず美少年(今で言うイケメン?)と言われる人が演じていましたし。
ずぅ〜〜っと古くは(私が生まれる前の大河ドラマ『太閤記』で)片岡孝夫(現:十五代目仁左衛門)さんも、演じた重要なキャラですよ。
信長の寵愛を受けながらお小姓として傍に仕え、18歳の若さで散ったところが人気だったんですよね。
でも、ここにランクインしてこないのは、きっと『戦国BASARA』のせい。(市のせい、とは言わないけど)
あのガキっぽい蘭丸ではね・・・・(美少年に程遠い・・・・)
女性の1位が伊達政宗なのは納得です。私もです
ただし、私の場合は1987年以来ずっとです。
『BASARA』とは全然関係無く、大河ドラマ『独眼竜政宗』で惚れたから。
「梵天丸もかくありたい」は、今年の「こんな所に来とうはなかった」よりも、きっとずっと名台詞ですよ。発言も前向きだし
だからゲームでも、片倉小十郎が居るなら伊達成実や鬼庭綱元も活躍させてくれればいいのに、と考えてしまうのですが、登場人物が多くなりすぎて無理なんでしょうね。
それにしてもこのランキング、『戦国BASARA』の影響大きいなぁ。
(ちなみに大河ドラマ『独眼竜政宗』の真田幸村は、若林豪さんが演じていました。イメージ全然違いますよね)
さて、そんな戦国ブームと言われる中、名古屋の徳川美術館では「戦国ふぁっしょん〜武将の美学」という秋季特別展が開催されていました。
あ、正確には開催されています、ですね。15日までですから。
開催初日の10月10日には、山本寛斎氏の記念講演会『人間讃歌/戦国のふぁっしょんと武士の美意識』があったようです。
庭園の楓も紅く色づき始めていました。
会場内は歴女さんで溢れているのかと思いきや、結構年配の方々が多く、そこそこの混み具合で楽に観て回れました。
今までで一番「見えないよ〜〜〜ぅ」だったのは、源氏物語絵巻の復元作品が公開された時だったかも。
チラホラと見かける若い女性たちは、何やら熱心にメモをとっていました。
二次創作のネタにでも使うのでしょうか?
展示品は「ふぁっしょん」がテーマだけあって、鎧、兜、着物が中心でした。
金髪のカツラ?と思うような熊の毛をあしらった兜もビックリでしたし、毛利元就の孔雀の羽根つき兜も美しくてカッコ良かった
「これかぶって馬に乗って走ったら、空力悪そうだよねぇ〜」と思わず口にしてしまうような兜も。
金色の陣羽織が現存していたり、現物を元に忠実に復元された着物などもあり、「天下を狙う人って自己主張と言うか自己顕示欲と言うか、要するに目立った物勝ちの派手好きなのね」というのが主な感想でした。
誰の所用のものか忘れてしまいましたが、鏡のように顔が映るほどに黒光りした派手な黒の鎧兜もありました。・・・・・う〜〜誰だったか思い出せない・・・
やっぱり図録は買っておくべきだったかな・・・
ま、次に行く時にバックナンバーで買えばいいか。
徳川美術館のミュージアムショップで売られているものは、普段は徳川家関連のものと源氏物語絵巻関連のものが中心です。
ですが今回の企画展では、それ以外の武将たちのグッズが並んでいました。
鎧兜のフィギュアやペーパークラフト、キーホルダー、タオルなど。
私は政宗に関連するものを買ったわけですが。
これは幟に見立てたタオル。
家紋をアップで写してみました。
スズメちゃんたちが目を吊り上げてにらめっこですよ
もう一つは花押のハンドタオル。
密書がバレそうになった時に「自分の直筆の物には花押のセキレイの目に針の穴を通してある。穴が空いていないものは偽物だ。」と、その場で秀吉に嘘をついてごまかしたエピソードを思い出して、「セキレイの目だ」と喜んで手にしてしまった私です。
帰宅してからパンフレット(チラシ)を改めて見ると、「武将たちは戦国時代のファッションリーダー」「甲冑は防護服であり、ファッションであり、変身願望を満たすコスプレでもあった」と書いてありました。
なるほど。
「人気ランキング」が載っていますが、一昔前ならきっと森蘭丸がランクインしていたはず・・・と思うのです。
ドラマでは必ず美少年(今で言うイケメン?)と言われる人が演じていましたし。
ずぅ〜〜っと古くは(私が生まれる前の大河ドラマ『太閤記』で)片岡孝夫(現:十五代目仁左衛門)さんも、演じた重要なキャラですよ。
信長の寵愛を受けながらお小姓として傍に仕え、18歳の若さで散ったところが人気だったんですよね。
でも、ここにランクインしてこないのは、きっと『戦国BASARA』のせい。(市のせい、とは言わないけど)
あのガキっぽい蘭丸ではね・・・・(美少年に程遠い・・・・)
女性の1位が伊達政宗なのは納得です。私もです
ただし、私の場合は1987年以来ずっとです。
『BASARA』とは全然関係無く、大河ドラマ『独眼竜政宗』で惚れたから。
「梵天丸もかくありたい」は、今年の「こんな所に来とうはなかった」よりも、きっとずっと名台詞ですよ。発言も前向きだし
だからゲームでも、片倉小十郎が居るなら伊達成実や鬼庭綱元も活躍させてくれればいいのに、と考えてしまうのですが、登場人物が多くなりすぎて無理なんでしょうね。
それにしてもこのランキング、『戦国BASARA』の影響大きいなぁ。
(ちなみに大河ドラマ『独眼竜政宗』の真田幸村は、若林豪さんが演じていました。イメージ全然違いますよね)
さて、そんな戦国ブームと言われる中、名古屋の徳川美術館では「戦国ふぁっしょん〜武将の美学」という秋季特別展が開催されていました。
あ、正確には開催されています、ですね。15日までですから。
開催初日の10月10日には、山本寛斎氏の記念講演会『人間讃歌/戦国のふぁっしょんと武士の美意識』があったようです。
庭園の楓も紅く色づき始めていました。
会場内は歴女さんで溢れているのかと思いきや、結構年配の方々が多く、そこそこの混み具合で楽に観て回れました。
今までで一番「見えないよ〜〜〜ぅ」だったのは、源氏物語絵巻の復元作品が公開された時だったかも。
チラホラと見かける若い女性たちは、何やら熱心にメモをとっていました。
二次創作のネタにでも使うのでしょうか?
展示品は「ふぁっしょん」がテーマだけあって、鎧、兜、着物が中心でした。
金髪のカツラ?と思うような熊の毛をあしらった兜もビックリでしたし、毛利元就の孔雀の羽根つき兜も美しくてカッコ良かった
「これかぶって馬に乗って走ったら、空力悪そうだよねぇ〜」と思わず口にしてしまうような兜も。
金色の陣羽織が現存していたり、現物を元に忠実に復元された着物などもあり、「天下を狙う人って自己主張と言うか自己顕示欲と言うか、要するに目立った物勝ちの派手好きなのね」というのが主な感想でした。
誰の所用のものか忘れてしまいましたが、鏡のように顔が映るほどに黒光りした派手な黒の鎧兜もありました。・・・・・う〜〜誰だったか思い出せない・・・
やっぱり図録は買っておくべきだったかな・・・
ま、次に行く時にバックナンバーで買えばいいか。
徳川美術館のミュージアムショップで売られているものは、普段は徳川家関連のものと源氏物語絵巻関連のものが中心です。
ですが今回の企画展では、それ以外の武将たちのグッズが並んでいました。
鎧兜のフィギュアやペーパークラフト、キーホルダー、タオルなど。
私は政宗に関連するものを買ったわけですが。
これは幟に見立てたタオル。
家紋をアップで写してみました。
スズメちゃんたちが目を吊り上げてにらめっこですよ
もう一つは花押のハンドタオル。
密書がバレそうになった時に「自分の直筆の物には花押のセキレイの目に針の穴を通してある。穴が空いていないものは偽物だ。」と、その場で秀吉に嘘をついてごまかしたエピソードを思い出して、「セキレイの目だ」と喜んで手にしてしまった私です。
帰宅してからパンフレット(チラシ)を改めて見ると、「武将たちは戦国時代のファッションリーダー」「甲冑は防護服であり、ファッションであり、変身願望を満たすコスプレでもあった」と書いてありました。
なるほど。
女人高野 室生寺へ行って来ました [旅・歴史]
世間ではシルバーウィークと呼ぶそうですね。
5連休の初日である19日(土)に、室生寺へ行ってきました。
女人禁制であった高野山に対して、女性に門戸を開いた室生寺が「女人高野」と呼ばれています。
もちろん現在は高野山にも女性は入山できますけど。
実は今回のドライブ、ETC初体験の旅でもありました
ゲートを通過した時にピッと鳴ったので、「ピッていったよ」「ピッていった」
連休初日ということで、ある程度の渋滞は覚悟していましたが、やはり苦痛ですね・・・
伊勢湾岸道路の長島辺りから東名阪自動車道の鈴鹿付近まで、ずっとのろのろ運転&立ち往生でした。
途中で御在所SAで休憩し、亀山I.C.で降りました。
国道25号(通称:名阪国道)に入ってからはわりと順調
室生寺付近に到着して、駐車料金無料で停めさせてくれるお休み処に車を停め、私達も休憩。
よもぎ入りの大判焼き「回転焼き」と、黒蜜たれの心太で糖分補給をしました。
お店は川縁に建っていて、川の向こう側が室生寺。赤い太鼓橋も見えました。
表門
観光のピーク時ではなかったせいか、この門は閉じられていました。
この門の前を右手の方に歩くと、朱塗りの楼門があり、赤と青の仁王像が迎えてくれました。
観光客が少なくて静かなので、川の音がよく聞こえます。
それと、蝉の鳴き声。この季節なのに、なんとミンミンゼミ!ちょっと驚きました。
ツクツクボウシは一匹も居なかったようです。
9月30日までの期間限定で、金堂を特別公開していて、本尊の釈迦如来や十一面観音、薬師如来、文殊菩薩、十二神将等の像を拝むことができました。
石段を上って行くと五重塔があります。
本来は800年頃の建立だったそうですが、1998年の台風で近くにあった杉の木が倒れて屋根が破損、翌年から復旧工事を始めて、2000年に復元されたものが現在の姿です。
この後、奥の院まで登ろうかどうしようかと考えましたが、帰りも渋滞にハマることを考慮して、体力温存のためやめておきました。(ペンギンmamaさんのアドバイスを参考にしました)
奥の院は諦めましたが、室生に来た目的の一つでもある室生龍穴神社には行ってきました。
川沿いに歩いて5〜10分。
敷地の端の方に杉の巨木がありました。ご神木です。
大きさの比較のために、妹に立ってもらいました。
樹齢千年は確実なのではないでしょうか。
神社正面。鳥居の手前の杉の木も、鳥居のようにそびえ立っています。
鳥居をくぐると右手には「連理の杉」があります。
『遙か4』を辿る旅としては是非とも奥の龍穴まで行きたかったのですが、このようなことが書いてあったので、何となく気後れしてやめました。
社務所に申し出て浄衣を着用・・・なんて。
ミーハーな気分で行って「私には龍神の声は聞こえなかった!」なんて言っていたら、罰が当たりそうなんですもん。
さて、神社仏閣巡りをすると、ついつい戴いてきてしまうのがお守り。
今回「コレこそが私に必要なのでは」と手にしたのが「安眠健康守」
お守りを備長炭入りの小さな枕に挟んで、自分の枕の下に置いて寝ると安眠できるそうです。
小枕のサイズが分かりやすいように、インコの箸置きと比較してみました。
効果のほどですが、昨夜は身体中が疲れきっていたため、爆睡。
今朝、いったん起きたものの、全身の筋肉痛と倦怠感で二度寝に昼寝。
う〜〜ん、確かによく眠ってますね。効いてるのかな?
でも変な夢ばかり見ていたから、熟睡はしていないかも。
今夜はぐっすり眠れるといいな。
そして起きた時には身体の疲れもとれていたら・・・
というわけで、おやすみなさ〜〜い
5連休の初日である19日(土)に、室生寺へ行ってきました。
女人禁制であった高野山に対して、女性に門戸を開いた室生寺が「女人高野」と呼ばれています。
もちろん現在は高野山にも女性は入山できますけど。
実は今回のドライブ、ETC初体験の旅でもありました
ゲートを通過した時にピッと鳴ったので、「ピッていったよ」「ピッていった」
連休初日ということで、ある程度の渋滞は覚悟していましたが、やはり苦痛ですね・・・
伊勢湾岸道路の長島辺りから東名阪自動車道の鈴鹿付近まで、ずっとのろのろ運転&立ち往生でした。
途中で御在所SAで休憩し、亀山I.C.で降りました。
国道25号(通称:名阪国道)に入ってからはわりと順調
室生寺付近に到着して、駐車料金無料で停めさせてくれるお休み処に車を停め、私達も休憩。
よもぎ入りの大判焼き「回転焼き」と、黒蜜たれの心太で糖分補給をしました。
お店は川縁に建っていて、川の向こう側が室生寺。赤い太鼓橋も見えました。
表門
観光のピーク時ではなかったせいか、この門は閉じられていました。
この門の前を右手の方に歩くと、朱塗りの楼門があり、赤と青の仁王像が迎えてくれました。
観光客が少なくて静かなので、川の音がよく聞こえます。
それと、蝉の鳴き声。この季節なのに、なんとミンミンゼミ!ちょっと驚きました。
ツクツクボウシは一匹も居なかったようです。
9月30日までの期間限定で、金堂を特別公開していて、本尊の釈迦如来や十一面観音、薬師如来、文殊菩薩、十二神将等の像を拝むことができました。
石段を上って行くと五重塔があります。
本来は800年頃の建立だったそうですが、1998年の台風で近くにあった杉の木が倒れて屋根が破損、翌年から復旧工事を始めて、2000年に復元されたものが現在の姿です。
この後、奥の院まで登ろうかどうしようかと考えましたが、帰りも渋滞にハマることを考慮して、体力温存のためやめておきました。(ペンギンmamaさんのアドバイスを参考にしました)
奥の院は諦めましたが、室生に来た目的の一つでもある室生龍穴神社には行ってきました。
川沿いに歩いて5〜10分。
敷地の端の方に杉の巨木がありました。ご神木です。
大きさの比較のために、妹に立ってもらいました。
樹齢千年は確実なのではないでしょうか。
神社正面。鳥居の手前の杉の木も、鳥居のようにそびえ立っています。
鳥居をくぐると右手には「連理の杉」があります。
『遙か4』を辿る旅としては是非とも奥の龍穴まで行きたかったのですが、このようなことが書いてあったので、何となく気後れしてやめました。
社務所に申し出て浄衣を着用・・・なんて。
ミーハーな気分で行って「私には龍神の声は聞こえなかった!」なんて言っていたら、罰が当たりそうなんですもん。
さて、神社仏閣巡りをすると、ついつい戴いてきてしまうのがお守り。
今回「コレこそが私に必要なのでは」と手にしたのが「安眠健康守」
お守りを備長炭入りの小さな枕に挟んで、自分の枕の下に置いて寝ると安眠できるそうです。
小枕のサイズが分かりやすいように、インコの箸置きと比較してみました。
効果のほどですが、昨夜は身体中が疲れきっていたため、爆睡。
今朝、いったん起きたものの、全身の筋肉痛と倦怠感で二度寝に昼寝。
う〜〜ん、確かによく眠ってますね。効いてるのかな?
でも変な夢ばかり見ていたから、熟睡はしていないかも。
今夜はぐっすり眠れるといいな。
そして起きた時には身体の疲れもとれていたら・・・
というわけで、おやすみなさ〜〜い
大和路の旅《余談》 [旅・歴史]
◇遙か4関連◇
橿原周辺は、『遙かなる時空の中で4』の舞台の一つです。
まず現代では、主人公の葦原千尋と従兄弟の那岐、風早と一緒に暮らしている家が、耳成山の東の麓にあることになっています。
通っている高校は、地図の位置からするとどうやら畝傍高校のようです。
大和八木から桜井に向かう電車の中からその景色を眺めつつ、「きっとあの辺に家があるんだよ。で、あの辺歩いてる時に柊に声かけられたんだよ」と話していました。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館では、大伴道臣が持っていた〈三環鈴〉の現物が展示してあり、「本当にこういう形してたんだ!」「まんまだね!」と軽く興奮。
ゲームの中では大物主の荒魂が登場する三輪山。
現在では狭井神社にその荒魂が祀られていますが。
(写真は大神神社の公式HPより拝借)
その摂社と同じ名を持つ狭井君は、「私が花も恥じらう少女の頃・・・」と昔語りをすると、敵に瘴気付与できるという、物語展開上の(政治的な)怖さとは別の意味で恐ろしいおばあさまでした。
今回、室生方面にいくのは時間的に無理と判断してやめましたが、正解でした。
室生寺と室生龍穴神社には、遠出のドライブで出かける方がよさそう。
体調とお天気の好い時の楽しみが一つ増えました
橿原周辺は、『遙かなる時空の中で4』の舞台の一つです。
まず現代では、主人公の葦原千尋と従兄弟の那岐、風早と一緒に暮らしている家が、耳成山の東の麓にあることになっています。
通っている高校は、地図の位置からするとどうやら畝傍高校のようです。
大和八木から桜井に向かう電車の中からその景色を眺めつつ、「きっとあの辺に家があるんだよ。で、あの辺歩いてる時に柊に声かけられたんだよ」と話していました。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館では、大伴道臣が持っていた〈三環鈴〉の現物が展示してあり、「本当にこういう形してたんだ!」「まんまだね!」と軽く興奮。
ゲームの中では大物主の荒魂が登場する三輪山。
現在では狭井神社にその荒魂が祀られていますが。
(写真は大神神社の公式HPより拝借)
その摂社と同じ名を持つ狭井君は、「私が花も恥じらう少女の頃・・・」と昔語りをすると、敵に瘴気付与できるという、物語展開上の(政治的な)怖さとは別の意味で恐ろしいおばあさまでした。
今回、室生方面にいくのは時間的に無理と判断してやめましたが、正解でした。
室生寺と室生龍穴神社には、遠出のドライブで出かける方がよさそう。
体調とお天気の好い時の楽しみが一つ増えました
大和路の旅《その他の話》 [旅・歴史]
◇宿泊と食事◇
今回の旅で宿泊したのは、橿原神宮駅前にある「橿原ロイヤルホテル」でした。
ネット予約限定の「備長炭ルームプラン」。
壁に飾られた備長炭のオブジェ、備長炭を練り込んだタペストリーや壁紙シート、チップ状の備長炭を詰め込んだ枕やシートパッドなど、備長炭を贅沢に使ったお部屋で、更にはバスルームのシャンプーやコンディショナーも備長炭を使った真っ黒いものでした。
タペストリーの下には、岩塩ランプもありました。
岩塩ランプは自宅でも愛用しているので、ほんのりとした暖かみのある灯りが心地好かったです。
この宿泊プランは食事無し。
オプションで食事を付けることはできましたが、せっかく滅多に行かない土地に行くのだから、そこの名物を食べたいと思い、ホテルの外のお店を探しました。
夏だけど、久しぶりに飛鳥鍋が食べたいな、というのが漠然とあったので、ネットで検索。
今回の旅で宿泊したのは、橿原神宮駅前にある「橿原ロイヤルホテル」でした。
ネット予約限定の「備長炭ルームプラン」。
壁に飾られた備長炭のオブジェ、備長炭を練り込んだタペストリーや壁紙シート、チップ状の備長炭を詰め込んだ枕やシートパッドなど、備長炭を贅沢に使ったお部屋で、更にはバスルームのシャンプーやコンディショナーも備長炭を使った真っ黒いものでした。
タペストリーの下には、岩塩ランプもありました。
岩塩ランプは自宅でも愛用しているので、ほんのりとした暖かみのある灯りが心地好かったです。
この宿泊プランは食事無し。
オプションで食事を付けることはできましたが、せっかく滅多に行かない土地に行くのだから、そこの名物を食べたいと思い、ホテルの外のお店を探しました。
夏だけど、久しぶりに飛鳥鍋が食べたいな、というのが漠然とあったので、ネットで検索。
大和路の旅《2日目/神社編》その弐 [旅・歴史]
◇山の辺の道◇の南部
三輪山周辺を歩きました。
橿原から大和八木を経由して、桜井まで行き、JRに乗り換えて三輪駅へ。
そこからは徒歩です。
参拝する前に昼食をとりました。
三輪そうめんのお店「そうめん處森正」という二の鳥居のすぐ横にあるお店です。
完熟トマトもメニューにあり、冷えておいしそうだったので、注文しました
疲労にはトマトのリコピンが効くようです。(愛知万博で身をもって実証済み!)
大神神社の公式HPはこちらhttp://www.oomiwa.or.jp/
大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山そのものをご神体としているため、本殿がありません。
拝殿からそのご神体を仰ぎ見るという、古神道の形態を残しているので、日本最古の神社とも言われています。
祭神は、大物主大神。
二の鳥居
ちなみに一の鳥居は、ずーっと離れた場所、JR線を越えた所にあります。
昭和天皇の在位60年を記念して建立されました。
三輪山周辺を歩きました。
橿原から大和八木を経由して、桜井まで行き、JRに乗り換えて三輪駅へ。
そこからは徒歩です。
参拝する前に昼食をとりました。
三輪そうめんのお店「そうめん處森正」という二の鳥居のすぐ横にあるお店です。
完熟トマトもメニューにあり、冷えておいしそうだったので、注文しました
疲労にはトマトのリコピンが効くようです。(愛知万博で身をもって実証済み!)
大神神社の公式HPはこちらhttp://www.oomiwa.or.jp/
大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山そのものをご神体としているため、本殿がありません。
拝殿からそのご神体を仰ぎ見るという、古神道の形態を残しているので、日本最古の神社とも言われています。
祭神は、大物主大神。
二の鳥居
ちなみに一の鳥居は、ずーっと離れた場所、JR線を越えた所にあります。
昭和天皇の在位60年を記念して建立されました。